2012年御翼2月号その3

それがみ声だと分かる方法

 自分本位の興味や自分の名声のためといった、低い次元の目標に対しては、神の祝福の約束があるとは言い難い。神の栄光、即ち、キリストによる人類の救いのためならば、神は祝福の約束を実現される。神の栄光のために何かをしようとするならば、その信仰は敵の攻撃にあっても揺らぐことはない。かえって、神の力が働くことを確信し、強められるものである。
 それならば、何が神の御心に沿ったものであるかを知る必要がある。しかし、神の声を聞くというのは、携帯メールを受け取ったりするのとは違い、人間には障害となることがある。神が実際におっしゃっておられることよりも、神におっしゃっていただきたいと願っていることを人が耳にすることは十二分にある。
 以下は、米国シカゴ・ウィロークリーク教会のビル・ハイベルズの著書『神さまは大切な事ほど小さな声でささやく。』(福音社)からである。

聞こえてくるのがみ声だとわかる方法
第1のフィルター: その促しは、本当に神からのものなのか?神の品性と矛盾していないだろうか。
第2のフィルター: それは聖書的なものか?聖書には、イエス様の言動が神の子としての手本として記されている。自分が為そうとしていることを、イエス様がなさっているのを想像できるだろうか。そう考える出発点となるのが、御霊の実である。
ガラテヤ5:18〜23「 (18)しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。(19)肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、(20)偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、(21)ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。(22)これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、(23)柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
第3のフィルター: それは賢明なものか? イエス様は弟子たちに、いつでも賢くありなさいと言われた。
マタイ10:16「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」また、旧約の「箴言」は、一巻全体が知恵とその性質を分析するために費やされている。
第4のフィルター: それはあなたの持ち味と調和しているだろうか?(特性テスト)
第5のフィルター: あなたが最も信頼する人たちは、それをどう思うだろうか?
箴言11:14「指導しなければ民は滅びるが参議が多ければ救われる。」 神が話しかけておられると感じるときは、自分のことをよく知る、数人の経験豊かな信頼できるクリスチャンにその内容を細かく説明してみる。そして謙虚に、皆の意見を尋ねてみよう。
 ビル・ハイベルズ『神さまは大切な事ほど小さな声でささやく。』(福音社)より


原発とキリスト教 稔(みのり)台(だい)教会 内藤新吾牧師
 稔台教会(千葉県松戸市)の内藤新吾牧師は、東日本大震災の5カ月前から、「原子力政策」の問題点について取り上げるよう、キリスト教の出版社(新教出版社)に訴えていた。内藤先生は、牧師となって赴任した名古屋で、ホームレスの支援活動を行っていた。そのとき、礼拝に来るようになった一人の原発被曝労働を繰り返した日雇い労働者と出会って以来、数十年、原発問題に取り組んできた。電力会社には、下請け、孫請けがあり、その辺までは会社としての契約関係もある。しかし、その下の下もあり、日雇いの人たちが被曝線量の高い場所で作業をさせられる。線量計も外され、どれだけ浴びているか分からず、放射能で汚染された配管と密着して雑巾がけをするが、暑いからマスクも外す。見えない放射線物質が飛んでいるので、体内まで被曝するのだという。日本の原子力が始まって以来、被曝労働者は45万人くらいいるという。
 静岡県の御前崎にある浜岡原発は、巨大地震(大陸プレート間地震)の想定震源域の真上にある。世界でもこんな例はないという。全国どこも原発の立地市町村は、過疎地で貧しく他の産業の振るわない地域にある。政府はそのような地域に、交付金を配布することで原発設置を認めてもらう。例えば、御前崎市の歳入の4割が交付金による収入であり、更に電力会社は、交付金とは別に地域振興基金と称した額も明かされない寄付金を配布する。これは旅行でも宴会でも何に使ってもよいお金である。このようになると、原発からは抜け出せない状況となるのだ。御前崎市の人たちに、東海地震に原発が持ちこたえられるか心配ではないかと、内藤先生は聞いたことがある。すると、「その時はみな一緒だから」という言葉が返ってきた。それに対し先生は、「なかなか簡単には死ねないよ。何カ月も、あるいは何年も苦しんで、医療費も足りなくなって、家族みんな地獄を見るよ」と話したという。
 日本の原子力は、差別の構造で成り立っているのだ。被曝労働なしには成り立たず、貧しい地域がお金で危険を引き受けなければならないことも差別である。「キリスト教会はこうした現実に対し、『お金よりも命でしょ』と、誰よりも大きな声を発してほしい」と先生は言う。教会はこうした社会の問題とは関係がないと言うのなら、「それならば、クリスチャンが増えれば増えるほど、世の中は悪くなる」と先生は反論する。原発問題は、地球の生物すべてに関わる問題である。神は天地創造のはじめに、人間に向かって、地球とそこに住む全ての生命たちのために、これを管理し、お世話しなさいと命じられている。これは聖書の教えの基本であり、そのことに全国の教会は意識を持ってほしいと先生は願っている。「市民団体の方々は、国や行政、電力会社との交渉で一喜一憂しますし、うまくいかなかったときの落胆度が大きい気がします。僕たち(クリスチャン)の場合、どこかに『あきらめない限り必ず導かれて先が見えてくるはず』『やれる限りはやるけど、その先はゆだねる』との思いがあるので、何があっても希望を持ち続けられるという強さはあるかもしれません」と内藤先生は言う。  
 ここに、先生の謙遜な信仰と使命感が表われている。クリスチャンは各自、祈りの中で神と交わり、与えられた思いを御言葉と照らし合わせ、自分の為すべき業を見出そう。そして、キリストにあがなわれたという謙遜さと、どんな状況からも人を祝福へと導かれる神におゆだねして目標に向かって行こう。

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